存在しない喪失。

はじめから存在しない存在への、埋めることができない喪失。
若者は常に、何かを己の力で変え得る、と考えている。学生運動然り、明治維新も装であるように、それはいつの時代も変わらぬことなのだろう。
が、その変え得る状況自体が存在せせず、つまりは―その無謀なまでの若者特有の自信が、あらかじめ存在することを許されない状況、
その場合、下手にメディアがあればあるほど―そのあらかじめ予定された喪失感はその強さを増すのだ。
結果論で言えば、その喪失感とは結局何かを変え得ると信じて、結局何も変えられなかった、という一般的な感情と同じなのだが、
が、しかし、その喪失感が、あらかじめ決定されていて、なんの行動も起こさないまま、得たものなのか、
はたまた、何らかの行動を起こした結果得たものなのか、
このさは決して埋めることのできない大きなものである。
すなわち、行動を起こし場合は何らかの充実感(幻想なのだが・・・)を得ることができるだろうが、なんの行動も起こすことができず(やればいいじゃん、でなく不可能なのだ)、喪失感を得た場合、なんお充実も味わうこともなく、その名状しがたい喪失感のみを味わい、苦しむことになる。
そして、その喪失感に対する埋め合わせは、”非日常”と呼ばれる幻想へ向かうことになる。
それは、昨今のアニメにおける、日常からの突然の非日常への転換、とうストーりが多いことからもご理解いただけるだろう。
さらには、ネット上の”祭り”とよばばれる行為も近いものがあるかもしれない
後半に続く

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